私がたまに食器洗いをしていると、妻から「洗剤の量が少なくてケチくさい」と言われます。別にケチケチしているつもりではないのですが、昔からその程度で使うのが習慣になっています。何故だろうと考えてみると思い当たることがありました。
私は小学校の1~4年生の間東京に住んでいました。当時はバブルな時代で、産業の発展に環境問題が追いつかず、夏になると毎日のように「光化学スモッグ」が発生し、近くを流れる呑川という川は以前は飲めるほどきれいな水だったらしいのですが、その当時は堆積したヘドロが水面より高く溜まっているような状態でした。そんな状況だったこともあってか、当時の担任の先生が社会の授業の中で、「環境汚染を防ぐために洗剤は最低限の量で使いましょう」と話され、家庭排水が泡だらけになって川に流れ出ている写真を見せられました。その印象が強かったために私の中で「洗剤は最低限」が普通になったのだと思います。
また、中学時代の先生が「歯を磨くときはブラシを横に動かすと歯の根元が削れてしまう」と言っていたためにずっと縦に磨いていたこともありました。(これは事実ではないようで、場所によって縦にも横にも適切に磨いたほうがいいようです)そう考えてみると、子どもの頃に教えられたことは意外と大人になってからの生活や習慣にまで影響していると思われます。
これも小学生くらいの時に私の父が話していたことなのですが、「良くない医者のことをなんで『やぶ医者』というか知ってるかい?」そして「竹やぶのように『少しの風(風邪)でもすぐ騒ぐ』ということだよ」と言いました。当時私は、なるほど、うまいこと言うなぁ、と思いました。その時は自分が将来医師という職につくとは思いもしませんでした。しかし現在の自分の診療スタイルを考えてみると、軽症の場合にはできるだけ余計な薬は使わず、また何度も通院しなくて済むように少し長めに処方して「良くなったら途中でやめてもいいです」とお話しします。もちろん必要な病状であれば薬や治療はしっかりご説明して行っておりますが、「少しの風邪では騒がない」方針は父の言葉が影響しているのかもしれません。
親として、大人として子どもにかける言葉には案外大きな影響力があるのかもしれません。心していきたいと思います。